「電車代やバス代が嵩んでタマラヌので,アシに原付が欲しいのですが」というものであります.
さよう,原付…
確かに昨今のガソリン急騰の世にあって,原付のランニングコストの安さは魅力であります.それでなくとも静岡という土地は公共交通機関が貧弱で,かつ移動距離が長いため実に交通費が嵩むのは事実.
他ならぬ友人の頼みであるから善処しようと予算を訊いてみますと,「保険も諸経費も用具もゼンブひっくるめて5〜6万」などと抜かしよる.それでは車両代は3〜4万円に満たぬではないか.チャリでもあるめぇしおととい来やがれ唐変木.ってなものでありますが,折しも別の友人が,保有バイクの幾台かを放出すると言う話が飛び込んで参ったのでありますよ.
その友人というのは,

【ヤマハ RD50
実は少年時代のワタシもコレに乗っていた事がございます.
正確には更に旧型の FX50 という奴ですが.
この RD というバイク,デザイナーは不明なれど,時期からすると GK インダストリアルデザインが描いた頃になりましょうか.タンクのデザインは,初期の FX/RD の頃から,レーシングマシンの TZ/TA に範を採ったロングタンクに膝の刳りを持ったもので不変ですが,テールカウルは最終型のコレでカムテールに変わり,サイドカバー形状や前サス,メータクラスタやホイール径にも手が入ってございますね.70年代スモール・スポーツのデザインとしては,HONDA CB50JX-1 と並んで,水平線基調のやや保守的ながら,端正な美しさのある機体と申せましょう.この個体は少し低目のハンドルに換装されておりますが,なかなか似合っておる.
「なぜお前は初心者が乗るアシ代りの原付にわざわざ30年前のヒストリックバイクを奨めるかっ」…という声もござりましょうが,なぁに有体はマニアックでも何でもない.イマドキのプラスチック洗面器の如き原付に比して,昔のバイクは何処もカシコも鉄また鉄,或いはカナモノで造ってございますれば,錆はあっても頑丈で長保ち,燃費も宜しいので結局は経済的.本人の要望? そんなものぁ二の次三の次.初めは恨まれもしようが,いつかはきっと感謝の念に変わるに相違なし.
また多くのミニバイクと違って車体サイズもマトモですから長時間乗っても疲れにくく,ワタシも昔はこれで随分遠くまで旅行になど行ったものであった.今はこのようなフルサイズ車体の原付スポーツは全滅とのことですが,全く世間の連中と言うのはドイツもコイツもモノを見る目が無ぇですな.
何せこの当時は原価管理が甘ぅございますゆえ,車体からして鋼管ダブルクレードルの随分と手の掛った構成,ブレーキも当時唯一の本格油圧式,エンヂンパワーも現代車に較べて遜色は無く,むしろスピードリミッタ回路の無いぶん速く,新車当時は90km/h ぐらい出たりして.
まぁ今そんなスピードでカッ飛んでたら免許が何枚あっても足らぬが,かと申して田舎の道路は都内などより遥かに流れが速く,現行スクータのように60km/h しか出ぬのでは,現実問題として明らかに力不足で,却って危のぅございます.
とは申せ条件は現状渡しで,程度は “いつとも知れぬ以前の話だがエンヂンは掛った”.という状態だそうですから,そのままド素人の毛玉明に渡しても困惑するばかりであろう.
しからば久々にワタシが神の手を振るい,眠る古代の超兵器を黒魔術で蘇らせてみるか,とばかりに,現車が置いてある街まで 愛機 Vespa に工具を載せて出掛けました.これを工賃に換算すると大変な事になるのだぞ毛玉明.何せ畏れ多くも神の手の持主が自らお出ましになるのからな.
…何やら友人をダシにして自分の趣味を満たしておるような気がせぬでもないが.
# 余談ですが,目的地に向かう途中の道に“中伊豆バイパス”という有料道路がございまして,先日そこが開通後30年経って無料解放となりました.思い起こせば30年前の梅雨空の日,開通記念でやはりタダだったこの道で,YAMAHA FX50を駆ったワタシは,HONDA CB50K の悪友と低レベルなバトルを熱く繰り広げたものであったのぅ.その時の友人は今は出世して DUCATI に乗って居る筈.方やワタシは貧乏風吹く Vespa.まっこと月日の経つのは早いものよ.
てな感慨に浸っておるうちに保管場所に着き,検分した現車はどうだったかと申しますれば……
(この項続く)
【関連エントリ】
YAMAHA RD50 (中編その1)
YAMAHA RD50 (中編その2)
YAMAHA RD50 (中編その3)
YAMAHA RD50 (後編)
YAMAHA RD50 (補遺)
メンテナンスのできる「い」殿が近くに(と言っても結構距離がありますが)いる間はいいでしょうが、後が大変になりそうな気がします。
と申しますのは,静岡というところはバイクの産地なれど保守営繕面では恵まれておらず,用品店や修理店,部品商の数は,首都圏周辺の方が比較にならぬほど多いからであります.
私が現役の頃はまだRZが高嶺の花で、RDがかなりこなれておりました。
私はそのころ規制前のDTをみつけて乗っていましたが、オンロード仕様に乗りたければ高い金を出してRZに乗るか、オンボロのRDに乗るか、という選択ができた最後のころでしたね。(Γが出てブレイクする直前、まだRGの頃ですね。ホンダはMB-5でパッとせず、カワサキのARなんてのもありましたね)
う〜む、これはこれで懐かしいような。
しかし、綺麗なRDですなぁ。
懐かしいです。
でもないんです,この時点ではw
この状態からチョイと神の手(笑)が入るわけでして,そのへんの顛末は後編をお楽しみに.
RDの頃以降のGKデザインは低迷期に入ってしまって、その分をGKグラフィックスのカラーリングで救っていた印象があります。70年代後半のヤマハのバイクは、ヤックのほうが良い仕事していました。
電気系がシンプルな昔のバイクの方が、メンテは楽なんじゃないですか。
FS1はワタシも乗っていたことがありますが,確かモデル後期にはトレール風のハンドルの付いた仕様もあったような気がしますので,それではないでしょうか.それにしてもあれは本当に似合いませんでしたなぁ.またこれを一文字に戻すとケーブル類が余りまくって不細工なのですよね.
> 70年代後半のヤマハのバイクは、ヤックのほうが
確かにそれは言えておるように思います.しかしながら,ワタシはどうもヤックにはあまりいい感情がございませぬ(笑)
と申しますのは,他ならぬヤックの出世作であるパッソルですが,あのハンドリング,ブレーキ,車体艤装,各部強度など,「平地を40km 近辺で走る分には辛うじて危険は少ない」というレベルのもので,当時のワタシはパッソルに乗ってみて「ここまでアザトク性能水準を落していいものか」と呆れ,次いで義憤さえ覚えたりしたもので (大径の車輪を持つロードパルよりも計画的でタチが悪い) ,もちろんこれは企画した YAMAHA の側に多くの責があってヤックの所為とばかりは言えぬのですが,やはりデザインは性能と無縁に在らざれば,同計画に関与したと思うと冷静に見ることが出来ぬのでございます.
そういった基本性能というのは,いっぺん水準を落して世間に通用してしまうと,それが標準になると申しますか,止め処が失くなると申しますか,次いで起った第二次HY商戦に数多送り出された泡沫スクータの類も,能動安全性のレベルは大同小異,その弊は現代の所謂ビグスクまで長く尾を引いておる……果してこのような良心の足らぬ商品企画のオファーを受けたデザイナーは,どう行動すべきなのだろうか,自分だったらどうしただろうか……てな青臭いことを,今になって (当時過剰設計にして高価格であった) Vespa に乗りながら,そぞろ思い返したりしております.
> 電気系がシンプルな昔のバイクの方が、メンテは楽
それが目下,他ならぬその単純な電気系を侮って脚を掬われ,「神の手」が思わぬ難戦を余儀なくされておりまして,このトピックも,全後編で短くまとめるつもりが,どうやら中後編ぐらいまで伸びる形勢になっております. どう決着するかはまた後日.
> モデル後期にはトレール風のハンドルの付いた仕様
YAMAHA FS50と改名して売られたモデルだと思います。
しかし件のRD50ですが
> 他ならぬその単純な電気系を侮って脚を掬われ
まったくとんだ落とし穴でした...
それにしても、暑い中お疲れさまでした。
近いうちに再び,部品を揃えて場所をお借りしますので,その節には宜しくお願い致します.
日時時間が合いましたら、全く役にはたたねども、「なにかつめたいもの」でも持って乱入させて頂きとうございます。
再作業の予定は,メールにて連絡させて頂きました.