2006年08月18日

戸隠蕎麦

世間はボチボチお盆休みが終わった頃ですな.
きっと今頃は多くの方々がUターンラッシュのクルマなり満員電車なりでヘトヘトになって御帰宅された頃かと存じます.「い」はと申しますと,住いがモロに観光地ゆえ外に出れば何処も混雑しておりますれば,ひたすら寝て過ごし居りました.
さてお盆休みと言えば思い出すのは1985年の夏.

その年の盆休み,ワタシは激務の中やっと取れた休暇に一気に疲れが出,帰郷するなり怠惰に部屋に転がって本など読んでおったわけですが,友人のA山がブラリと訪ねて来まして,「戸隠」へ蕎麦を食いに行こうと言う.
おぉそれは良いね.と一も二もなく同意してA山のクルマに乗り込み走り出したは良いが,走れども走れども一向に蕎麦屋に着く様子が無い.
「おい,その“戸隠”ってのは遠いのかね」と尋ねますと
「きっと遠いだろうなぁ.戸隠って確か長野県だろ」
「ちょ,ちょっとクルマ止めろ,降ろせ」
「もう遅い」
……A山というのはいつもこういうベタな性格なのでございます.

そうこうしておるうちに御殿場を過ぎ山梨も過ぎ清里も過ぎて野辺山高原に差し掛かりました.ちなみに当時はまだ長野道はございません.普段ですとこのあたり高原の涼気を求めて観光客がドッと繰り出す場所ではあります.しかし,賑わっていることは賑わっているのですが様子が面妖しい.

つまりその,夜も遅いと云うのに沿道に非常に沢山の人が居り,それがみな軍服を着て殺気立った目つきをしておるのです.しかもジープやら兵員輸送トラックやら給糧車やらの軍用車もワンサと居るではありませんか.
これはどう見ても観光客でも団体旅行でもサバゲー大会でもない,ぶっちゃけ自衛隊がもろ臨戦態勢で全力展開しておる以外の何物でもございませぬ.

そこで卒然としてワタシは悟った.
ソ連が攻めて来たのだ」と.

いや今ならギャグですが何せ時は1985年,スホーイが無抵抗の旅客機を問答無用で撃ち落としたり空母ミンスクや巡洋戦艦ゴルシコフなどが日本海を遊弋してたりした冷戦タケナワの時代でございますから相当にマジ.少なくとも演習な筈は無い.そもそも野辺山高原は演習地ではないし,ましてお盆休みに自衛隊が大演習などするわけもありませぬ.
考えてみればお盆休みほど奇襲作戦に向いた時期はございません.政府機関は半休状態ですし首都はカラッポになっておる.

当時の観測では,もしソ連が攻めて来た場合,新潟に強襲上陸して関越を通って首都を一気に陥すに違いないと言われておりましたので,察するに野辺山高原に陸自の主力が展開してるってことは既に新潟は陥ちたという事に他ならず,何も知らぬワタシどもがカーステ鳴らしながらここまで走って来るうちに状況はそこまで悪化してしまったということになりましょう.ラジオを聞こうにも生憎と山間部でノイズばかりでございますし空を見上げれば暗くて機種は定かでないがヘリが大量に飛び回っておりまして,そもそもヘリが夜間飛行する事自体,既に緊急事態でございます,実に恐ろしい.サテ困ったことになった.
「どうしたもんかねA山」
「露助は蕎麦が好きかな」
「いやぁ,好きとは思えんな」
「なら行けるところまで行こうじゃないの」
……仮に戸隠に辿り着けても既にソ連の制圧地域だと思うのですがまぁ今更戻っても手遅れですしね.

このとき我々は知る由もなかったのですが,実際には,近くの山中で,ある意味ではソ連が攻めて来たと同じくらい驚天動地の大変なことになっておったわけでして,つまり真相は
←だったわけですが,この時点では現場の位置がハッキリしていなかったため,緊急出動した陸上自衛隊が野辺山高原で一時待機していた.ということだったようでございます.
そうと解るまでは真面目にビビりましたな.

そんなこんなで軍人だらけの佐久を突破,長野も過ぎて戸隠バードラインに入った頃には夜が明けておりました.
「さてA山,蕎麦屋はどこだ」
「知らん.お前知ってるか」
……A山というのはいつもこういうベタな性格なのでございます.

アテが無いなら仕方ない.というと失礼ですが大久保茶屋へ.
この蕎麦屋はワタシが幼少の頃から避暑に行くと何時も寄ることになっていた店でして,と申すとあたかもワタシがお坊っちゃまのようですがナァニ親父の実家がこの辺りにあるだけだったり致します.

お店そのものは大変に由緒あるもので,昭和天皇行幸の折にも蕎麦を献上したというような看板が出ております.
今は知りませぬが,その頃は割に朝早くからやっておりまして,昼飯時になると大混雑なのですが我々は開店一番ですからガラガラ,開け放たれた座敷には高原ならではの涼気が爽やかに吹き渡り,田舎の庄屋屋敷めいて拵えた裏庭の石組に緑鮮やかに瑞々しい苔の乗った様も目に涼しく心地良い.

頼むのはビールか冷や酒,イワナの塩焼+ザルソバ大盛でキマリでございます.気取って他のものを頼んでも所詮は田舎蕎麦,大した事はございませんので賢明ではない.此処は一旦1970年代に味が落ちて大変に常連を落胆せしめたものですが,訪れた1985年にはそれも持ち直して可成り美味い部類に戻っておりました.流石にもう天然イワナとは参りませんでしたけどね,尤も天然イワナってのはともすれば寄生虫が居ますでな,あながち手放しで賞賛もし難いわけでして.

まぁその,ワタシ個人の好みなのですが,蕎麦そのものの味は此処よりも,もっと美味いところは戸隠上社や長野市内にでも,幾らでもあると思うのですよ.ただそういう処はどうもお高く止まっておると申しますか,ともすれば蕎麦懐石のように極めて量が少なく無闇と気取って悪凝りしたものを出したがる傾向がありまして,世の中で何が野暮と申して凝り過ぎほど垢抜けぬものはございませぬ

そこいらの加減が解らないのが一生涯田舎者ってやつでございまして,多寡が蕎麦じゃねぇか勿体振るんじゃねぇ.と思ってしまうのですな.まして相棒がワタシより確実に2割は短気なA山でございますれば,そんなところに連れて行けば
「何気取ってやがんでぇ,とっとと全部持って来い! なにぃ,あれで全部ぅ? あんな鳥のエサみてえなのが蕎麦か,えぇ?!」と一暴れしそうでありますね.

その点此処は,空いて居りさえすれば朝酒かっ食らって座敷に寝っ転がっていようと勝手な雰囲気で,まぁ実際にはいつも混んでおりますんで中々そうも参りませんが.
というわけで二人とも満ち足りた気分で再び自衛隊の展開する中を抜けて伊豆まで半日掛りで戻ったのでありました.
ああそうそう,戸隠バードラインを通ったら必ず買って来たいのは地元の農家が出している無人販売の今は希少種となった…ってこれはまた別の機会にオハナシしましょう.

しかし,後で知ったのだが此の飛行機,ウチの上空あたりを飛んでた時に壊れたそうではありませんか.なんとも数奇な因縁.1985年8月12日,ワタシはこの日を忘れまい.

以上,何とも不謹慎な話題で恐縮ですが,まぁ「い」は,例え全面核戦争が勃発しようとも,いやそんな時はなおさら,明るいうちから蕎麦屋とかウナギ屋とかピッツェリアとかバールで一杯飲りながら上機嫌で世界最後の夕焼けとか眺めてるだろうことは間違いないと思うんで,今更曲がっちまったヘソを伸ばすわけにも参りませんのでヘイごめんなすって.
posted by 「い」 at 19:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 呑み喰い
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