2006年08月23日

前略 ミルクハウス

ワタシが,えーと幾つぐらいの頃だろう,とにかく若かった頃,飛鳥とか吉野とかの大和地方を放浪していたことがございます.今思い返して,旅費はどうしていたのだろう.と考えても思い出せぬ.もとより定まる宿とて無く,神社の軒先やらバスの待合所,間が良ければお寺の宿坊に一夜の宿を借りて寝泊まりしていた憶えが朧げにあるばかりにて,有体に申せばホームレスと変わりませぬな.

過去に埋もれつつある茫々の記憶の中で,非常に明確な輪郭をもって立ち上がって来る思い出.それは飛鳥鍋
はぁ,我ながらその,食い物の記憶だけが鮮明というのも面映いことですが.

その日,ひょんな事に「少年い」は,懐中に数千円のお金を持っておりました.どうやって手に入れたかは覚えておりませぬ.
この元手で腹を満たし,たまにはフロにも入ってフトンで寝たいと思ったわけでございまして,然るにそのときワタシが居りましたのは明日香村.周りにはホテルも歓楽街もござらぬ只の田舎ですが,幸いにこのあたりは土地の旧家が民宿をやっておることが多い

農作業中のお百姓さんに尋いて訪ねて行ったのもそういう民宿の一軒でございました.値段は廉く建物はえらく古くて百年は軽く経っていそうです,そういう味わいのある民家の一座敷を借りて泊まる仕組,非常に古風ながら掃除が行き届いて清潔でありました.

で,そこの夕食に出たのが飛鳥鍋というわけでして,もちろん食べるのはその時が初めて.内容はトリと野菜の寄せ鍋ですがツユがもろに牛乳色というか真っ白けでございます.

由来を聞けばこれがまたどえらい古代な話で,飛鳥時代に渡来人が食ってた牛乳の煮込みに発祥するのだと申しますがそれは如何なものか,1400年前の料理がそのままに残っているとは考え難く,ただ遠い遠い昔に,牛乳を使った料理があった.という朧げな言い伝えから再構成したものかと存じます.よし古代から伝わるものとしても,古来の肉食禁忌の習慣から古形を留めているとも思えませぬ.

まぁ詮索はそれとしてオソルオソル口をつけてみれば此れが甚だ美味.
塩味は白味噌で付けているのでしょうか,トリのダシと牛乳が非常にイイ感じにマッチしておりまして,これにキノコや野菜の旨味が加わって,ちょっと和食離れしたコクがございます.と言うかこれはめちゃくちゃ栄養あるのではないだろうか.ふと気付くと,部屋が明るく感じる.いや錯覚ではなくて明らかに床の間の掛軸が先刻よりクッキリよく見えるようになっておりまして,これはつまり,それまでのワタシが栄養不良で視界が暗く狭くなっていたのでございましょう.あたかも苦行時代の若き釈尊がスジャータに乳粥を振る舞われて意識を取り戻したが如し.栄養補充というのがこんなに即効性があるとはそれまでワタシも存知ませなんだ.

これですっかり元気になったワタシは,翌日からも懲りずに大和地方を流浪して居ったわけでございますが,フト法隆寺に辿り着いて御仏像を拝しておる時に気付いた.

法隆寺には「聖徳太子等身大」というフレコミの御仏像が少なくとも2体おわすのですが,どちらも非常に長身である.デカい仏像ってのは古今幾らでもあるのですが,法隆寺のそれはデカいんじゃなくてホッソリと高いんですね.180cm/60kgという感じの体型である.まぁ昔の事ですし等身大と申しても偉人崇拝の感情による大型化があるでしょうから,現実的にはモデルは173cm/54kgぐらいの感じの人ではなかったろうか.

美術史的には,飛鳥時代の仏像というのは,仏菩薩の崇高さをシンボリックに表現する為に,あのようにホッソリと背が高いのだ.と言われておりまして,人体のプロポーションをリアリスティックに仏像に表現出来るようになったのは,その後の白鳳・天平時代だというのが定説なのですが,そのときワタシは直感的に違うんじゃないかという気がした.つまり,飛鳥時代に最も先進的な文化人だった聖徳太子一族は,牛乳飲んでニク食ってたんじゃないか.と.たぶんチキンのクリーム煮とかチーズグラタンとか日常的に食べていて栄養状態が良く,シンボリックにでなく実際にも背が高かったんじゃないのか.と.

これは決して突飛なことではなくて,ワタシなどの戦後第二世代が,たった20〜30年しか年齢差のない戦前戦中の日本人と体型も身長も全然違う.という事実を考えれば,ありえなくはないのではないでしょうか.聖徳太子一族は,かなり濃密かつ特権的に大陸文化を受容していますし,それが思想面だけとは考え難い.ライフスタイル全般が大陸の先進国流儀で,食べてるものからしてフツーのヤマト人と違ったのではないか.

傍証になりますが同じ法隆寺の東院伽藍中宮寺に在わす如意輪観音(右側),こちらはご覧の通り女の子体型ですが,よーく脚みて下さい.スネがスラリと長くて膝下が真直ぐで,しかも足が非常にデカいです.普通の古代人の女の子の脚 (時代は少し古いですがハニワの女の子とか) と全然違う.むしろ栄養が行き届いた現代の女の子の脚に近い.また,イスに座ってるからわかりにくいですが,立ち上がるとすごく脚が長いことがわかります.この姿勢のままで立て膝したら,膝頭は顎のあたりまで来ますでしょ.諸嬢も鏡の前でこの姿勢を真似して頂ければ,この観音様がいかに脚長かわかると思います.

ちなみに左側の京都広隆寺弥勒菩薩は膝下がO脚気味でスネが短く,足が小さい甲高の扁平足ですね.こちらは典型的に日本の女の子の脚だと思いますが.

仮に牛乳飲んで肉食って数世代を経過した場合,骨格が変わるんですから頭蓋骨とて例外ではない.カオつきからして違って来る筈です.彫りが深く面長になりますし鼻も高くなる.古代のヤマト人にしてみると,聖徳太子は背が高く顔つきも外人顔で,いかにもフツーの人と違う外貌のカリスマがあったのではないだろうか.

それに考えてみると,聖徳太子の住んでいた斑鳩と政庁のある飛鳥とは20kmぐらい離れている.当然,通勤には馬を使ったんでしょうが,実際に乗馬やってみるとわかりますが,20km走るってのは今の進んだ馬具と丈夫な馬に乗っていて並足でもかなり体力使いますよ.ワタシは歩きましたが,当り前ですが徒歩通勤圏どころじゃありません.
厩戸皇子っていうぐらいだから当然,自邸には厩舎があって乗馬は出来たことは殆ど確実でしょうし,当時,乗馬が出来るってのは今で言えば戦闘機が操縦出来るくらいの特殊技能+体力があったのではなかろうか.

まぁその時は単なる思い付きだったのですが,それから随分後になって,←の本を読みまして,少なくとも食い物に関してはワタシの直感は正しかったということが解りました.と申しますかワタシが想像した以上に良い物を食っておる.ちゃんと国営の牧場があってチーズもバターもあった.もちろんそれを口に出来るのは最上級の貴族・皇族だけだったようですが.

また仏典というのはインド起源ですからかなり頻繁に乳製品の栄養に関するエピソードが出て来るのですが,仏教学者として著名であった聖徳太子がそれを知らない筈はありませんしね.
それから幾つかの関連書籍も読みまして,飛鳥時代にはあまり厳しい肉食タブーが無かったことも解った.となればそれを食っていた人々の体型が現代人並でも少しもおかしくない.

残念ながら聖徳太子陵は宮内庁管理で発掘も出来ませんし,江戸時代にコッソリ墓室に入ったときの記録でも,棺は経時劣化か何かでコナゴナになっていたそうですから,実際に聖徳太子がスラリとした長身だったかは解りませんが,聖徳太子より少し後の世代の藤原 鎌足の墓と思しきものが偶然発見されたときには,被葬者の身長は165cmぐらいだったということで,やっぱり当時の平均身長の150cm後半からすると相当にデカい.(被葬者の鎌足らしき人は横方向の骨格も非常にガッシリしていたようです.ミネラル分が充足した食生活だったんでしょうね)

それが段々と貧相な体格になって来るのは,律令制が崩れて行き,国営牧場が機能しなくなるのとだいたい軌を一にしておりまして,まぁそれと肉を食わなくなったことも大きいでしょうか.平安時代になると日本人はまたもすっかりチビに戻ったようであります.

もし1400年前に移入された乳製品食と肉食が途絶えずに,また貴族だけの独占物でなく一般大衆にも次第に普及して行ったとしたら,日本人の体位はどこまで向上したんでしょう.
遺伝形質は変えようが無いので,やはり史実の1980年代のように男子平均身長170cm前後でサチュレートしたのでしょうが,170cmの人々の造り出したかもしれない文化と,史実の155cmの人々の造り出した平安文化とは,ずいぶん様相が異なったものになるのでしょうな.
史実の平安時代以降の日本文化は,いかにも小さい人たちが造った文化らしく総じてチマチマと小さく繊細にまとまったものへの指向がございますが,デカい人ってのはそういうものをあまり好まず,どちらかというとユッタリ大らかなものが好きですから.

# 全然関係ない話ですが,↑の「前略・ミルクハウス」,注意して読むと,副主人公の菊川 涼音君は実は非常にデカいのですな.主人公の芹香ちゃんと並ぶとよくわかる.

【関連エントリ】
ニク食え肉

posted by 「い」 at 19:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | 読書記録
[この記事へのコメント]
  1. 古代の乳製品ということで,『1500年前の味を再現、「古代の味」が弁当に』というニュースがございました. (asahi.com)
    http://www.easyurl.jp/21q
    読んでみると,5世紀そのままの料理を復刻したわけではなく,その頃の復元食材を使って現代人が作った創作弁当.という感じですな.栄養バランスのほどは如何なものでしょうか.

    古代のチーズ類と申しますと,以前から復刻されていたものでは「蘇」ってのがありまして,これは今では奈良まで行かずとも買えるようであります.「い」も食べた事は無いがサテハテ,どんな味がするものでしょうか.
    http://www.easyurl.jp/21s
    奈良には,奈良時代の揚げドーナツみたいなモノの復刻菓子もありまして,これはワタシも経験がございますが…
    Posted by 「い」 at 2007年09月18日 03:37
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