この季節に是非とも口にすべきもの.それは何を措いても肉まんであります.寒い寒い寒い冬の日にかぶりつくアツアツの肉まん.死人も蘇らんばかりに素晴しいものでございますね.
肉まんと言えば諸葛孔明であります.
何故ここで唐突に孔明が出て来るのかと思われる方も多かりましょうが,意外にも肉まんを発明したのは孔明らしい.しかしあの御仁は妙に料理や食材に詳しく,カブのスプラウトをサラダにして不足しがちな野菜を補う工夫とか,何でそんなこと知ってるのと言いたくなるような人ではありますな.若い頃によほど食い物で苦労したに違いない.
然るに,この肉まん発明のエピソード,ワタシが真相を想像するに,おそらく孔明の率いておった軍勢は,その時,天候不順で進軍が思うに任せなかったのであろうと考えるわけです.
いかに孔明が名将であろうとも天候ばかりはどうにもならぬ,部下たちにしてみれば,冷たい雨の中ぬかるんだ道を重い武具着けて延々歩けば誰もがウンザリ致しましょう.それでなくとも渡河行軍というのが難事な事は近代陸軍のマニュアルにも特記されておる.生贄云々というのは兵卒のサボタージュの為の詭弁と察せられます.
そんな時にすかさず大休止.丞相考案のニューアイディアフードすなわちホカホカの肉まんを支給すれば兵卒の士気は一気に挙がると思われます.つまり現実はそういうことだったのではないでしょうか.
然るにこの伊豆伊東というところは驚いた事に中華料理屋の店頭で肉まんを売っておらないという二千年前の中国よりも冷厳な現実がございます.つまり肉まんを食べたければ,自分で作る以外はコンビニで買うかチルドの奴をスーパーあたりで買って来て自宅で温めるか乃至はミスドの飲茶メニューしか無い.さすがにああいうものは旨い不味いは措いてもやはり本来の中華饅頭とは少し違う気が致します.人口7万人の街で1件も無いというのは唯事ではないと思うのですが.
翻って静岡市に住んでおった頃,肉まんを求めてよく通ったのは「長城飯店」でした.これには仔細があるわけではなく,拙宅から最も近かったからでありますが,それにしても凄い屋号でございますね.北京シェラトンホテルかよ.片や静岡の長城飯店は二間間口の変哲も無いラーメン屋でありまして,変わった事があるとすれば店主と女房が中国人であることぐらいですか.
然様.中国の人ですから午前中に肉まんを作っておることがあるのですな.また朝粥が喰える事もある.どちらも常に喰えるわけではありませんので,さりげなく偵察して蒸籠に湯気が上がっているのを確認してから攻め込むわけであります.
これが昼や夕方になりますと店は普通のラーメン屋と同じく外勤の労働者諸君で込み合って来るわけですが,その辺りの時間帯から,常に淡々たる表情で調理を続ける主人のコメカミに極めて微かな癇性の不機嫌をよぎらせるものがございます.これはよほど注意深く観察しておらねば解りますまい.
つまりそれは,どこのラーメン屋でも定番メニューの餃子と炒飯なのであります.
つまり中国人の彼の常識では,「餃子」と言えばそれは即ち水餃子のことでありまして,日本で一般的な焼餃子の如きは残り物を始末する時の下司な喰い方なのでありますね.よって客から「(焼)餃子」と注文されると差詰め「貴様の餃子は残飯並のレベルだ」と言われたように感じるのではないか.
同様に炒飯というのも本来は料理屋で出すようなものではない.残って冷たくなってしまったゴハンを残り物の具で炒めて食すという甚だ下賎の残飯処理料理であります.
つまり彼にしてみれば自分の手技に満腔の自信でもって日々仕事に励んでおっても,その真価を一顧だにせぬ日本人が残飯料理の類ばかり注文して来るのが,たぶん不愉快なのだと推察されるわけでございます.
とはいえこの瘠せて筋肉質の主人,- 聞くところでは中国拳法の使い手らしいのですが - 幾ら腹が立っても決してオタマを脇に挟んで怪鳥の如き気合声を入れながら暴れ出したりは致しませんから,遠慮なく焼餃子でも炒飯でも誂えて大過はございません.
しかしまぁ折角,水餃子が得意のようですし焼餃子と値段も殆ど変わらぬので試みに頼んでみればやはり焼餃子より格段に旨い.春巻なぞもイケる.叉焼などもちゃんと拵えてございますし炒め物もマトモ,麺類も種類豊富にして安いにも関わらずちゃんと北京料理であります.
いやぁ大したものだなぁ.これだけ上手なのに延々と不本意な注文ばかりやらされていたら俺なら確実にキレるなぁ.と,この主人の人間性に深く感銘を受けながらビールで春巻を食べていたものでございましたね.
あゝそれにしても何処の空からか肉まんが降って来ないものかのぅ.顕われよ21世紀の諸葛孔明.
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おおいに驚いたそうな。